実録・ある漫画家志望者の挑戦と挫折

実録・ある漫画家志望者の挑戦と挫折

私が「あなたの夢の応援団長」を志す理由となった、悲しき実話


~ 拝啓、漫画家になりたい貴方へ ~

既に御存じかもしれませんが、ワタクシはTwitterで通常のアカウントとは別に「ブロガー交流垢」なるサブアカウントも運営しており、そこでは専ら、ユニークで意欲溢れる新進気鋭のブロガーさん達を応援させて頂いております。


他にも小説家やミュージシャン志望、画家や起業志望など、様々な分野で成功を夢見る若い人達をチョコチョコと応援させて頂いており、さながら「一人応援団」とでも呼ぶべき地味な活動を、ここ数年ほど続けております。

で、何故にそのような活動をしているかと言いますと、一言で表すなら「他人の夢の実現」に焦っているからであります。

えっ、意味が分かりませんか??

まぁ、確かに「自分の夢」の実現が停滞していて焦っているならいざ知らず…
他人の夢の実現に焦っていると言われても、ちょっとピンとこないかもしれません。

なので、今日は趣向を変えて、ワタクシが他人の応援を志す動機となった、実に重く苦々しい経験をお話ししたいと思います。

漫画家志望の彼との出会い

このエピソードは、ワタクシが未だバイクに乗っていた頃の話ですので、かれこれ、十年以上前の出来事になります。

その彼(以降、M氏と表記)と出合ったのは、ワタクシがバイクに乗るようになって間もない頃であり、ワタクシが愛車を購入したそのバイク屋こそが、M氏と出合った場所でした。

ワタクシより5歳ほど年上であり、その店の常連客でもあった彼の第一印象は…

とにかくボロボロ

その店の他の常連客には、当時のワタクシも含めて割と小金持ちが多く、マシンには常にワックスを掛けてピカピカに保ち、ヘルメットやウェアの類いも定期的に買い替えて「金を掛けてる感」を演出するのが仲間内のモード(流儀)でした。

しかし、M氏だけは…

  • ✅ボロボロのウィンドブレーカー
    M氏は、いつ会っても擦り切れた同じウィンドブレーカーを着ており、それは近くでよく見ると、所々に「元の色」である紫色がうっすらと確認できる程度でした。

    本人は「他に服持ってないんだよww」などと笑いながら言っていましたが、今、思い返してみても、それはジョークではなく「本当の事」だったのだろうと思います。

  • ✅ボロボロのヘルメット
    まるで、峠の谷底から拾ってきたかの様にボロボロなヘルメットは、キズや凹みを隠す為に何度も何度も自ら塗装を上塗りした骨董品。

    そんな状態では、転倒して頭を打った際にちゃんとショックを吸収してくれるかどうか、甚だ疑わしく、一緒にツーリングに行く時も彼が転ばないように祈るのが常でした。

  • ✅そして、ボロボロのマシン
    高校時代にアルバイトして貯めたお金で買ったマシンは、M氏の持ち物の中で唯一の「高額品」でした。しかし、定期的なメンテナンスこそしてはいるものの経年劣化が激しく、ボディーのカウリング(外板)やガソリンタンク、エンジンの表面はボロボロに色褪せた状態。

    「このマシンの寿命が尽きた時こそが、彼がバイクを降りる時だろう」と、周囲の誰もが思っていました。

・M氏のマシンと同型のモデル

知り合った当初こそ、M氏の懐事情を知らなかったワタクシは「何でそんな状態を放っておくんだろう??」と訝しみましたが、ある日、仲間内で仕事の話になった時、彼が十年近くコンビニのバイトだけで生活しているフリーターだと知ったのです。

ボロを纏った男は、それでも夢を語った

漫画家志望
もちろん、「フリーター」という表現それ自体は、世間一般の皆さんに大雑把に説明する時に付ける「大分類」のラベルであり、同じフリーターを名乗っていても、その実生活は一人一人大きく違います。

例えば、プロのライセンスを持っているボクサーであっても、それだけでは生活できない人が大半ですから、皆さん、バイト→トレーニング→バイト→トレーニング…というストイックな生活をしています。

プロボクサーでさえ、そんな状況ですから、プロ未満の練習生などは世間的に「フリーター」と認識されても仕方ないでしょうし、本人にしてみても説明するのが面倒でしょう。

そして、M氏の場合は「漫画家の卵」、つまりコンビニのバイトで生活費を稼ぎながら、出版社にマンガの原稿を持ち込むという生活をしていたのです。

確かに、仲間内でマンガの話題になると…

「あの絵柄は斬新だよねぇ!」
「あの先生も今じゃ売れてるけど、デビュー当初は…」

などと細い目を輝かせて語る彼の表情は、他のどんな時よりも生気に溢れていました。

また、一度だけ構想中の作品の素案(いわゆるカットやネーム)を見せてもらった事がありますが、素人であるワタクシの目から見れば、それはやはり「上手い!!」と声を上げるほどのクォリティーでした。

出版社が定期的に催す「漫画賞」の類いで佳作を獲った事もあるそうで、少なくともワタクシは、近い将来にM氏が描いた作品がマンガ雑誌の巻頭を飾る事を信じて疑いませんでした。

ボロを着てても心は錦」という、清貧を表現した古い謳い文句がありますが、まさに彼は、それを体現していたのです。

理解者の死と最後の投稿

ある日、いつものようにバイク屋に顔を出すと、常連客だけでなく、店員も含めた全員が暗く沈んだ表情でボソボソと何やら話していました。

(まさか、誰か事故ったのか!?)

場所柄、それを真っ先に心配したワタクシが「あれっ、みんな、どうしたの!?」と詰め寄ると、店員が言いづらそうな顔で答えました。

「Mさんのお父さんが亡くなったみたいで…お葬式には誰が顔を出すか話してたんですよ…」

それを聞いた時、ワタクシは自分の顔から血が退いていくのを確かに感じました。
M氏にとって、父上殿はこの世で最大の理解者であり、唯一人の協力者だったからです。

高校を卒業しても定職には就かずに、プロの漫画家としてデビューする日までアルバイトだけで食い繋ぐことを彼が決意できたのも、実の父親の快諾と激励があったからこそでした。

はたして、肉親にして最大の協力者を失ったM氏の胸中や如何に…?
他人がそれを察しようとも、なお察し切れぬほどに痛ましい、マンガではない現実…

しかし、ワタクシはそこで奥歯を嚙み締めながら、心の中で叫びました。

「まだだ!まだ終わってない!!」

父上殿の死から遡ること数週間前、M氏と二人で近場の峠に走りに行った際、彼はワタクシにだけ「ある決断」を伝えたのです。

「昨日、S社の〇〇賞に原稿を送ったんだけど…これを最後の投稿にしようと思うんだ…」

突然の告白に戸惑っているワタクシに対して、彼は続けました。

「十年近く投稿して佳作一回しか獲れないんじゃ、さすがに、もうダメかなと思って…」

そう言われて、バイク絡みの付き合いしかない他人が何と返せばよかったのか…
その時の、もどかしく複雑なワタクシの胸中を理解して頂けるでしょうか??

やっとの思いで口から出た言葉は…

「俺はMさんの連載を読みたいッスよ?今度こそダイジョブですよ!!」

今、思い返してみれば無責任極まりない「素人の根拠無き太鼓判」ではありましたが、しかし確かに、その時のワタクシに贈り得る精一杯の応援歌でした。

そして、再び時を戻し…

M氏の父上殿の死を知らされてもなお、ワタクシが一粒の望みを手に強く握り締めていたのは、最後の投稿が入選して辛くもプロデビューを果たし、彼自身が父上殿の墓前でそれを報告する姿を脳裏に描いたからでした。

鋼のペンが折れた日

挫折した漫画家志望者

物理学に詳しい方なら常識かとは思いますが、剛性の高い金属は一定以下の力が加わっている状態では曲がる事さえありません。

しかし、ある一点を越える力が加わると、それまで曲がる事さえ無かった金属は、まるで思い出したかのようにパキンと折れます。

父上殿の訃報から二週間ほど経過した頃、M氏はバイク屋の店内で、近所の工場に正社員として就職した事を皆の前で告げました。

それはもちろん、最後の投稿が落選したという意味です。

事情を知らない皆がホッと安堵したような表情を浮かべて、「落ち着いたら、また走りに行きましょう!」と声を掛けて励ましていました。

しかし、ワタクシだけは…
誰とも目線を合わせずに、自らが吐き出したタバコの煙をジッと見つめていたのです。

努力量と成果が比例しない、経済社会の仕組みを受け入れる事が出来ずに…
M氏の夢の実現に何の協力もできなかった、自分の無知と無力を悔やんで…
余談になりますが、最近では漫画家やイラストレーター、声優などを養成する専門の学校があるみたいですね。

こういった養成機関が当時から存在していれば、M氏も10年という月日を費やさずとも、今ごろプロとして活躍できていたのではないかと思います。

参照 夢を夢で終わらせない!
アミューズメントメディア総合学院

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排気音と共に去りぬ

それから更に3ヶ月ほど経った頃、バイク屋に最新モデルのオフロードバイクが届きました。M氏の新しい「相棒」です。

YAMAHA WR400F
・M氏の新しいマシンと同型のモデル

最新モデルのヘルメットを被り、最新モデルのオフロードジャケットに身を包んだ彼は、もはや以前の「みすぼらしい兄ちゃん」ではありませんでした。

(これで…良かったんだろうな…)

それまでと変わらない態度で…いや、むしろ今まで以上に明るい態度で仲間と交わろうと努めているM氏を見て、ワタクシは心の中でつぶやきました。

夫に先立たれた母上殿を安心させるという意味でも、彼が正社員として就職した事は「正しい身の処し方」だったに違いありません。

それから十年以上の月日が流れ、ワタクシ自身がバイクを降りた今となっては、M氏がその後、どのように過ごしているかを知る術はありません。

しかし、ワタクシの胸に残った悔しさは、今でも焦げ臭く燻り続けています。

もしも、この記事を読んでいるアナタが、M氏と同様に長年の夢を叶えんと孤軍奮闘しているならば、そして、M氏と同様に続けるか辞めるかの瀬戸際に立たされているならば…

是非とも、ワタクシに声を掛けて下さい。

ブログやTwitterでの紹介を始めとして、あらん限りの手段を用いて、あらん限りの声を張り上げて貴方の応援をさせて頂きます。今度こそ、貴方の夢を叶えましょう。
拙者
今度こそ!!