いわゆる「メンヘラ」という言葉が聞かれて久しくなりました。
ワタクシ自身、脳科学を勉強する身の上として、この言葉が深い理解を伴わずに独り歩きをする事に懸念を示す者の一人ですが、その反面、ゴッホやムンクに代表されるように、心の病を芸術として昇華させる事に成功した人達によって、より深く多彩な芸術表現の可能性が広がった事も確かでしょう。
また、心の病を抱える者の気持ちや価値観を、そうでない者が疑似的に体験してみる事も、「寛容な社会」を作り上げていく上で不可欠になってくる要素かと思います。
これから紹介する「火傷少女」という作品は、いわゆる「学園モノ」の形式を採って十代の若者に共感してもらい易くする一方で、我々、大人が見過しがちな「一見、平和に見える風景」の裏側で、他者に対する不理解は日毎に深刻化していくのだという事をも教えてくれます。
第1巻 あらすじ
家庭に事情を抱え、暗く地味な生活を送っていた高校生、逢崎 要(あいざき かなめ)は、常に「眼帯」を装着している「変わり者」ではあるが、他のクラスメート達とは普通に明るく交わっているかに思われた女子、雛実 秕(ひなみ しいな)が落としたノートの中身を、偶然にも見てしまう。
そこに自分と同種の「心の闇」を感じた要は、もっと彼女の事を知りたいと思い、そのノートの内容に理解を示す。
しかし、その後の彼女の言動が予想し得る範囲を大きく超える事も多く、「似ているようで違う」という微妙な距離感の中での、ぎこちないコミュニケーションが続く。
明くる日、秕に誘われるままに忍び込んだ木造の廃校舎の中で、ノートの中身などとは比べ物にならない凄惨な「儀式」を見せられた要は、違和感や気持ち悪さを感じつつも、彼女の言動に引き出される形で次第に露になる自分の「本心」に気付き始める。
解説と感想
この手の、少年誌ではまず扱われない「メンヘラもの」を読むのは、ワタクシ、初めてかもしれません。
もちろん、よくある「愛憎劇の末の凶行」といったストーリー展開は、それはそれで好きなんですが、それらは大抵「良かれ」と思って取った行動が結果的に仇となる「不器用さ」を描いた作品が多く、そこには他者からの理解を求める哀願が根底にあります。
しかし、本作のように「他人の価値観なんぞ知ったこっちゃない」とばかりに、最初から閉じた世界観の中でストーリーが進行する形式は、もちろん「共感」など出来よう筈もなく、ひたすら「怖いもの見たさ」でページをめくっていったというのが正直なところです。
また、本作の特異な点は、決して絵柄そのものが「おどろおどろしい」ワケではなく、むしろ、途中の展開などは少年誌のような明るい絵柄で描かれているという事です。
一見すると「普通の外見」をしているカナメとシイナが、その心の奥に閉じ込めている「本当の願望」をチラッと晒した時に、私達読者は「普通の中に潜む異常」の存在を改めて認識させられ、思わず背筋を震わせる…という実に憎らしい構成になっています。
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第2巻 あらすじ
カナメは「死を知り、感じたい」というシイナの言動に対して一定の理解を示しながらも、人間として踏み越えてはならない最終ラインである「殺人」を、彼女が既に犯しているのではないか…との疑念を抱く。
しかし、その疑いを深く追求する事ができなかったカナメは、シイナと自分の微妙な立ち位置の違いを改めて感じる。
翌日、再び廃校舎を訪れると、OL風の見知らぬ女性が教室で眠っている姿を見つける。
目を覚ました女性は浮ケ谷 アザミと名乗り、この場所で自殺するつもりである事を二人に告げた。
解説と感想
この巻は凄いですね…現在の認知心理学の核心を突いています!!
実験の精度が低かった大昔の心理学では、ヒトの表面に現れている行為・行動が同じであれば、その動機となっている心理も(概ね)同じであると考えられていました。
しかし、fMRIや超電導量子干渉計といった高度な計測機器を用いての実験が行われている現在では、表面に現れている行為・行動が同じであっても、必ずしも同じ動機に基づくものであるとは限らない事が判っています。
それを端的に表しているのが、浮ケ谷 アザミという女性がシイナとカナメに呈した、
「私は、死にたいから死ぬんじゃない 生きたくないから死ぬんです」
という苦言でしょう。
あっ、もちろん、クラスメイトの熊沢さんは相変わらず「自分が定義するところの正義」に基づいて、シイナを「普通」に戻そうと突っ走っておりますww
こうやって第三者としての視点で観ると、「自分も、こんな感じだった時があるんだろうなぁ…」と、今さらながらに考えさせられますね。
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第3巻 あらすじ
母親の不審死により、かつて自分と母親を捨てて出て行った父親の現在の家に引き取られたカナメは、継母と腹違いの姉に温かく迎えられながらも、うまく言葉にできない居心地の悪さを感じていた。
一方、カナメの「元カノ」である遠吹 カエデの存在に興味を持ったシイナは、対話を図る事によって、自分と全く同じではないにせよ、互いに死に対する憧れを抱いている点で一定の理解を共有する。
そんな中、おそらくは自分の母親の死に何かしら関与しているであろう姫野 ツグミと再会したカナメは、支離滅裂なようでありながらも、心の扉をこじ開けて全てを見通すかのようなツグミの強力な言葉の数々に翻弄される。
解説と感想
いやぁ、この巻もイロイロと凄いですねぇ…
以前までは、シイナがヒトを殺し事があるのではないかと大いに動揺していたカナメが、いざ、実際に浮浪者(?)を殺した直後のシイナに対して、特に諫め(いさめ)たりもせずに割と平静に対応しちゃってますからね!
「朱に交われば赤くなる」という諺がありますが、シイナと出会ってから日常的に「死」というキーワードに接するようになったカナメが、恐怖や道徳心といった、人間が本来的に備えている感覚さえ忘れていく様が実に良く…いや、気持ち悪く描かれていますww
もちろん、怪物や幽霊の類いが登場する「ホラー」にカテゴライズされる作品であれば、「死と隣り合わせの日常」という描写は当然なのかもしれませんが、ホラーではない、「若者達の日常」を追う形の描写の中で、ここまで死を身近なものにした作品に出会うのは初めてです。
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第4巻 あらすじ
かつて自分と母親を捨てた父親が、継母と腹違いの姉の前では「普通の家族」として接している事に強烈な違和を覚えたカナメは、やり場のない慟哭の声を上げて家を飛び出す。
一方、自分が変われば父親も少しは変わってくれるのではないか…と淡い期待を抱いて帰宅したカエデは、そこに誰とも分からない血塗れの少女の死体と、いよいよ狂い果てて妄言をつぶやく父親の姿を見る。
期待を打ち砕かれ、無我夢中で父親を刺し殺したカエデは、全てが終わってしまった自分が最期の最後に出来る事を思い立ち、シイナに電話をかける。
翌早朝、学校の屋上のフェンスの「外側」に立ったカエデは、校庭のベンチに待たせておいたシイナに「交渉」を試みる。
解説と感想
えーと、ここまで読んで下さった皆さんに、とても言いづらい事を言わなければなりません…
この作品は、本4巻を以て最終巻となりますorz
未だ回収していない伏線がいっぱいあった筈なのに、これは一体、どうした事なのか…
可能性としては、
①自殺を肯定する内容にクレームが殺到して、作者自身の判断で終了とした。
②クレーム云々以前に、人気が出なくて普通に打ち切られた。
その二つのどちらかだとは思いますが…
いずれにせよ、前3巻でカナメを翻弄したツグミが、今後も物語の流れを左右するキーパーソンであると思われていただけに、それを強制退場させる形で強引にまとめようとしても、「やはり、まとめ切れなかったか…」というのがワタクシの率直な感想であります。
もっとも、本作品自体は中途半端な形で最終回を迎えてしまいましたが、原作者である貫徹氏は、精神疾患や脳機能学についてかなり勉強している事が見受けられます。
本巻終盤で、シイナが死を渇望する原因となったエピソートが描かれていますが、それが「現実に、充分に起こり得る事」なので、ワタクシのように脳科学を勉強している者にとっては、殊更に怖く感じられるワケです。
従って、本作で読者にウケなかった、あるいは理解してもらえなかった部分をもう一度ジックリと練り直した上で、次回作こそは、この「サイコ・ホラー」を完成させた形で披露して欲しいと願います。
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さぁ、あなたは…
この作品を読んでもなお…
死に憧れますか??
この作品を読んでもなお…
死に憧れますか??