◎~ 四 ~◎
「母さんも僕も 人の心に呪われたって言うのか」
【前巻まで】呪霊である真人(まひと)が映画館の中で人間の改造実験行っている現場を目撃した吉野 順平は、自分をイジめていた学校の級友に復讐するべく、自分にも同じ事ができるようになるかと真人に教えを乞う。その一方で、映画館で発見された変死体を調査していた七海と虎杖が現場に残っていた呪力の痕跡(残穢)を追跡したところ、二体の呪霊に遭遇して交戦するが、それは呪霊ではなく、やはり改造された人間であった。
第4巻 ~殺してやる~
学校で級友を締め上げ、覚えたての術式を行使して今まさに殺害せんとしている順平に待ったをかけた虎杖。必死に説得を試みるも、その級友が金で呪詛師を雇って母親を殺害したと信じ込んでいる順平は耳を貸そうとしなかった。元より順平に対して特段の期待や愛着を抱いているわけではなかった真人は、これは良い当て馬であるとばかりに、虎杖の目の前で順平の肉体を無理矢理に改造して死に至らしめる。
怒り心頭した虎杖が真人を殴ると、当初の予想とは異なり、真人自身の「魂の輪郭」を捉えて確実にダメージを与えていた。これにより闘争心に火が点いた真人は、自身の変形性能の追求も兼ねて全力で応戦する。
途中、追い付いてきた七海も加わり二人掛かりで真人を追い詰めるが、土壇場で「領域展開」を会得した真人は七海の生命に王手をかける。七海を救うべく外側から結界を破壊して侵入した虎杖の「内部」に、真人は「呪いの王」の姿を見る。
一瞬の判断ミスで大きく消耗した真人が戦闘の継続を諦めてその場から逃走した結果、虎杖と七海は生命に係わるほどの重傷を負う事なく帰還したが、虎杖の胸中には、真人に操られた改造人間を殺してしまった事による自責の念が大きく伸し掛かる事となった。
解説と感想
先の3巻に引き続き本4巻も実にスリリングで、なおかつ今後の展開に重要な影響を及ぼすパートとなります。先に結論を申し上げると、本巻で繰り広げられた戦いによって虎杖は他のどんな呪霊や悪人よりも真人を許せなくなり、真人もまた、呪霊全体の未来像という当初の目標すら忘失するほどに、虎杖一人に固執して追い回すようになる…という事です。面白い事に現時点での最強は間違いなく五条 悟であり、後々に最強となって立ち塞がるのは両面宿儺の筈なのですが、そういった最終局面とは別の部分で、個々の登場キャラクターの衝突の末に決定づけられる「宿命の仇敵」という関係性の方が、むしろ我々読者に対して絶好の名勝負を提供してくれるものなんですよね。
さて、ワタクシの個人的な感想ですが…
この真人という呪霊の言動を見る度に”痛痒くなる”とでも言いますか、人間の負の側面である狡賢さや残酷な好奇心を集大成したような、まさに「人間そのもの」とでも呼ぶべき存在なんですよね。なので、「自分も過去に真人と同じ言動をしていた事はないだろうか…?」と、思わずページを捲る手を止めて考え込んでしまった事が何度もありました。
また、「脱サラ呪術師」である七海が会社勤めを辞めて高専に出戻る契機となったエピソードも描かれていますが、これもまた、時として現実に見られる場面となっています。
我々人間はいつだって「自分の能力を活かせる場所」を探していますが、場合によっては、その場所は危険と隣り合わせであったり、陽の当たらない「裏方」であったりもするわけです。しかし、ここで大切なのは、そういった損得の要素を天秤に掛けて悩みに悩んだ末であっても、最終的には自分自身の意思と責任で選び取らなければならないという事だと思われます。
受験や就転職などの人生の大事な選択の際に、直接的には関わりの無い筈の第三者の意見に流されてしまいますと、それが上手くいった場合は「あの人のお陰」、それが失敗した場合には「あの人の言う事を信じた自分が馬鹿だった」と、いずれにせよ自尊心がダダ下がりするだけですからね。
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